乳がんの全摘手術をすることが決まりました。
病院で再建についての説明を受け、術式を決めきれぬままいったん持ち帰り検討することに……。
病院から帰って、早速夫に再建について相談しました。
夫は黙って聞いていました。
自家組織は身体を切るの大事になりそうだし……。
きみちゃんの納得いく方法にするのが一番いいと思う。
このように発言した夫。
だが夫の様子からあまり『再建』に関して関心を示していないと感じました。
すると。
きみちゃんがこれ以上痛い思いをしない方法がいい。
胸、なくてもいい。一番負担のない方法がいい。
想定外とはこのこと。
自分はどんな方法で『再建』をするかで頭がいっぱいだった。
乳がんになった以上胸を失うことは避けられない。
胸を失うことは、自分的には受け入れているつもりであった。
「何らかの形で再建すればいいや」と考えることで、胸を失うことに関する喪失感から目をそらしていたのかもしれない。
再建をすることで発生するデメリットはもちろんあるのだ。
- 自分の体のダメージもある
- その後の通院やケアだって必要
- 乳輪や乳首も必要であれば、追加で手術も必要
私は夫の意見を聞き、しばし我に返る。
同じ釜の飯を食う、運命共同体の夫婦すらこの価値観の違いである。
乳腺外科のS先生の
という言葉が再び頭をリフレインする。
さすがS先生。
無数の乳がん患者やその家族と触れ合ってきたからこそのアドバイスなのだ。
同時に夫に対し「夫は私の身を案じてくれている。ええ奴やな」と少し感動した。
そして一瞬「再建とかしなくてもいいかな?」と思う自分がいた。
だがふと我に返る。
夫の意見を聞いたうえで、再度自分に問う。
自分はどうしたいのか。
それは確かにそうだ。
私は自分の正直な気持ちを言った。
夫はうなづく。
夫の気持ちは分かった。
この時点でお互いの希望を話し合えた、意思を確認しあえたことに意味があると思えた。
「これは私の体だから!私が決める!」
最終的にはそれでいいと思う。
だけど、その過程で自分の気持ちや、家族の気持ちを伝えたり受け止めたりすることが大事なのだと思った。
私たちは親しい人に対し、つい「家族なんだから察してよ!」とおもいがちだ。
だが今回で言うなら「乳がん」になったのも「胸の再建手術」もはじめてのことだ。
夫もそうだ。
妻が「乳がん」になったのも「胸の再建手術で迷っている」のも初めてなのだ。
それでいきなり、自分の意向に沿った対応を求めるのは酷なこと。
だからこそ、自分の気持ちを手間を惜しまず伝える努力がいる。
普段からメチャクチャしゃべる私たち夫婦でも、全く見解は異なっていた。
ただ相手の不安の理由が分かれば、対応もできるというもの。
と夫に言われてしまう。
まったくもってその通りである。